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[転載]台湾2・28事件から60年 県人犠牲者 解明へ

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台湾2・28事件から60年 県人犠牲者 解明へ

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 中国大陸から台湾に渡った国民党政権に地元住民が弾圧され、二万人余が死亡したとされる一九四七年の「2・28事件」から今年で六十年。県関係者三十人以上が犠牲になったとの報告もあるが、発生以来長く歴史の闇に葬られていた。節目を迎え真相解明を急ごうと六日、沖縄大学の又吉盛清教授らが記者会見し、「台湾228事件沖縄調査委員会」を立ち上げ、本格的な調査に乗り出すと発表した。同委員会は情報提供を呼び掛けている。
 会見には代表の又吉教授、台湾琉球協会の楊孟哲副代表、父親が同事件に巻き込まれたとみられる浦添市の青山恵昭さん(63)らが出席。「関係者は高齢化し、時間がない。最後の機会になるかもしれない。この不幸な事件で県出身者が亡くなったことを重く受け止め、調査を急ぎたい」と決意を語った。
 又吉代表によると、同事件で在台湾の県出身者や八重山、宮古から台湾の密貿易に従事していた人など三十人以上が犠牲になったという。調査は、(1)当時台湾にいた県出身者(2)日本の敗戦後台湾と密貿易をしていた県出身者(3)難を逃れて先島諸島に密航してきた在沖台湾人―の実態解明が目的。
 台湾琉球協会がパイプ役となり台湾の政府機関、行政院文化建設委員会も連動して進められる。今後、県内外で当事者や親族からの聞き取りを行い、二月二十八日に台北市で開かれる国際シンポジウムで、中間報告をする予定。
 又吉代表は中間報告後、被害者の補償が検討されるなど、「新たな展開になる」と期待する。
 同事件で県出身者も犠牲になっているが、人数や被害状況など詳細は判明していない。
 父親が失踪した経緯を追っている青山さんは「台湾からの引き揚げ者の中にも事件のことを知らない人がいる。多くの人に事件のことを知ってもらい、父の死を含め真相を究明したい」と訴えた。
 情報提供は又吉代表まで。メールか電話で受け付ける。メールはmatayosi@okinawa―u.ac.jp、電話は090(2397)9666。
[ことば]
 2・28事件 1947年2月28日に台湾で起きた民衆による反国民党の暴動事件。腐敗官僚の専制支配や、台湾人への差別に対する強い不満が爆発し、台湾全土で抗議行動が起こり、2万人以上が犠牲になった。80年代の台湾の民主化以降、事件の真相解明が本格化した。国民党軍が上陸し「虐殺の町」になった港町・基隆の社寮島(現・和平島)には沖縄人集落があり、事件に巻き込まれたことが分かっている。

「基隆の社寮島(現・和平島)には沖縄人集落があり」とある。戦後 中華民国による内地人の日本人と沖縄人の扱いに違いがあったことがわかる。また台湾への沖縄人の移民は 台湾に付属する島へ結構j漁民として移民したケースが多かったらしい。

また この小さな社寮島は歴史に登場し
[ リンク社寮島]
基隆の和平島は古くは「社寮島」と呼ばれ、台湾原住民の一族であるケタガラン族の一支族であるバサイ族がここに住んでいました。バサイの人々は、台湾の数多くの原住民の中でも唯一長距離の航海に長け、漁業と貿易を営む民でした。17世紀の北台湾で一番よく使われていたのは、なんと彼らの母語であるバサイ語だったのです。
 バサイの民は皮膚の色は白く、背が高く勇猛だったため、当時のヨーロッパ人は彼らのことを「北フォルモサにいる白い悪魔の海賊」と呼んでいました。彼らは貿易と航海を得意とし、東海や西太平洋を縦横に行き巡りました。バサイの人々は幾つもの言語を自由に操り、多くの民族との交流を楽しんでいたのです。
 学習能力が高く、貿易が上手だった彼らには、毎年中秋節から正月の期間にわたって船を漕いで海に出、出会った人々の首を取り(「出草」と呼ばれる)先祖の霊をなだめるという習慣がありました。ヨーロッパ人に愛されまた恐れられた部族だったのです。
 バサイ族は稀に見る女尊男卑の母系社会を営んでいました。航海と漁業の他に、彼らは造船や踊りにも長じていました。清朝の康熙帝の時代には社寮島は「大●籠社」と呼ばれ、ケタガラン族がここに密集していました。その後スペイン人、オランダ人、フランス人、日本人、琉球人、朝鮮人、漢民族などの移民がやって来、それら外来民族や地元のアミ族などとの混血が進み、ケタガラン族は次第にその実態を失ってしまったのです。

社寮島リンク
1626年、スペインが遠征隊を派遣してルソンより出発し、社寮島、つまり今日の基隆の和平島に上陸しました。その後、島の西南端に「サン・サルバドル城」を築きました。1642年、オランダ人が北上して社寮島を攻略占領した後、「サン・サルバドル城」を「北オランダ」に改名しました。
1668年、鄭経が軍を派遣してオランダ人討伐を行いました。オランダ人は敗北しましたが、この地を去る前に、社寮島の洞窟内に字を刻んで記念として残しました。ここは後に「番字洞」と呼ばれました。 

台湾2・28事件沖縄調査委が発足 真相究明に期待 八重山毎日新聞

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60年経過、実態把握へ関係者から聞き取り
八重山宮古移住者にも情報提供呼びかけ
那覇】台湾の2・28事件から60年が経過し、同事件の沖縄人の犠牲者と在沖台湾人の実態調査を行う「台湾2・28事件沖縄調査委員会」(委員長・又吉盛清沖縄大学教授)が6日、発足した。同委員会は台湾の行政院文化建設委員会と台湾琉球協会、台湾国際法学会からの委託を受け、2月28日の中間報告に向けて関係者からの聞き取り調査などを行う。
 2・28事件では、台湾から難を逃れようと八重山、宮古を経由して本土へ向かった人も多く、中には八重山、宮古地区にそのまま移住した人もおり、同委員会では八重山・宮古地区の情報収集も行いたい考え。
 同委員会は6日、沖縄大学で会見。又吉委員長は「事件から60年が経ち、関係者も高齢化している。期限を考えると最後の調査となる可能性もある」と話し、八重山・宮古地区についても「関係者が台湾入植地で事件のことを話すことなく、現在まで過ごしている可能性がある」と述べ、情報提供の協力を呼びかけた。
 また、台湾交流協会副代表の楊孟哲さんは「2・28事件ではたくさんの人が亡くなった。又吉委員長を通して本格的な調査をしたい」と話す。
 同事件に巻き込まれ、行方不明になっている父親の足跡をたどる青山恵昭さん(63)も「台湾が民主化され、当局への問い合わせもできるようになったが、いまだに父の足跡は分からない」と真相究明への期待を話した。
 石垣島には同事件から難を逃れて移住し、すでに他界した呉蒼生さん(享年82)も確認されていることから、八重山、宮古地区にも関係者が移住している可能性があるため、同委員会では協力を呼びかけている。
 同委員会の連絡先は電話(090-2397-9666・又吉)、またはE-Mail(matayosi@okinawa-u.ac.jp)。
【2・28事件】
 日本の敗戦で台湾が50年ぶりに中国に復帰した際、大陸から国民党軍が台湾に上陸し、国民党支配に台湾民衆(本省人)の不満が高まった。1947年2月28日、警官の発砲事件をきっかけに反国民党の暴動が発生。同党は軍事力で民衆を弾圧し、死者2万人以上、行方不明者も多数いるとされている。発生以来、タブー視されていたが、92年には調査報告書が作成され、李登輝総統が遺族に償った。

転載元: ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)


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